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2017-10-15

FIFTY THIRD

先日、53歳になった。



60歳まであと7年か、と誰しも思うのだろうか?この歳になると。



50を過ぎてから今50いくつというようなことをあまり思わなくなり、偶に今幾つなの?と聞かれた時に言い淀むことがしばしばあった。
「あれ、今51だっけ、2だっけ3だっけ?」という具合に。

先日など、鬱的な気分の時にあと数年で60という強迫観念に襲われて「俺はもう人生で何も為し得ないのではないか?」と気持ちが沈んだ時もあった。しばらくたって落ち着いた時に「あ、52だった、まだ...」と、細やかな安堵感に浸ってみたりしていた。


53歳という認識が今はある。何なんでしょう?



もうアラフィフという範疇も期限切れになってくるという歳なのだなあ。次はなんというのだろう...アラ還か...。




誕生日の前日、FACEBOOKでなんとなく自分の高校の同期で検索したら、同学年のうちの一人が同期生のグループを立ち上げていて67名が参加しているのを発見してちょっと心がトキめいてしまった。
420名ぐらいの学年だったから最近立ち上げたにしては集まっているなと思った。

その中に中学時代に交換日記をしたことのある娘(もうおばさんだけれど)の名前もあった。結婚しているから苗字は変わっているのだけれど名前でひょっとしたらとFBを覗いてみたら何枚かの自身の写真をアップしていた。彼女だった。

着物姿の写真ばかりだったけれどここ数年のもの。髪をもっと整えて撮ればいいのに...と思いつつもかなり老けて見えてちょっと驚いてしまった。

でも、孫もいるそんな彼女の同じ年月を過ごしたにもかかわらず全く違う生き方を、かなりザックリと想ってみたりすると納得もしたりするのだった。
それは僕がずっと独身で、子育ての苦労も喜びも経験せずにきた今までの人生に対する少しばかり後悔と、それを経験してこられた彼女を羨ましく思う気持ちがそう思わせているのかもしれない。




そんなことを考えながら...53歳になってしまったのであった。Sigh...









2013-06-03

スキマ時間、という単位。

色々なことに急を要していてなんだか一人焦っているこの頃。

中山庸子というイラストレーターの時間術活用法について書いた本

そのなかで、5分を一つの単位として1スキマ時間と称し、この5分という単位のちょっとした空いた時間のなかでなにか一つの事がが出来るんじゃないか、ということを提唱している。

なかなかできないから時間を無駄にし且ちなわけだが、こんな単位を意識するだけでそこに価値を見いだせてたかが5分と思えなくすることができるという意味で、今の僕にとって結構意味ある提唱に思える。


焦らず実践してみようと改めて思うのだ。

2010-12-10

何かがぼやけている…



今、こうして文章を書くのが苦痛なのです。

しかも、書くということだけでなく読む方も苦痛なのです。
本を読むのは大好きなのに、ここのところ読んでいても心ここに有らずで、気付くと活字ばかりを追っていて何も読み取っていない自分に気付く。


夏に沖縄の読谷村や名護近辺で写真を撮りまくっていた時、デジカメの液晶画面に時々焦点が合わなくてピントの確認がしづらい様なことが時々あったなあなんて、そんなことをふと思い出した。
これは老眼になり始めたのかしらん…などといぶかしく思ったなあ。


そんなコトとこんなコトが頭の中で交錯する。


音楽を聴いたり、聞きながら歌ったりが今は一番しっくりくるようだ。


2010-12-09

たまには…




先日、雨上がりの火曜日、休日のの午後、所用があって渋谷へ行った。
その帰り道、電車に乗らず、歩いて池袋まで帰った。

明治通りをまっすぐ、表参道を抜け、東郷神社の脇を通りその少し先で右に折れて神宮外苑を横切り、東宮御所沿いに学習院初等科を横目に四谷に出る。市ヶ谷を過ぎたところで左に折れて新潮社のあいだをすり抜けて早稲田通りを江戸川橋の方に向けて歩いた。
途中、四谷で迎賓館前の花壇の縁に腰掛け、時々目の前を通る自動車を眺めながら詰まらぬことを考えつつぼーっとしたりしていたので、江戸川橋のドトールコーヒーに着いた時には夕方4時半になっていて、日がかげりやや暗くなっていた。

ここ数ヶ月、ウチの中に閉じこもり表にほとんど出なかった。
たまには、2時間ぐらいこうやって歩いてみるのもいいものだ。

2007-06-16

むくみのとれない、不可解な一日。

やや腹を冷やしたせいか腹を下し気味だ。
そのせいか新陳代謝の機能が低下してしまったようで、昨日は身体がむくんで気持ちの悪い一日だった。

別に体調が悪い訳ではなくただむくみがひどいだけなので、汗をかいてむくみを撮ればと考え、フィットネスクラブへ行く。

ランニングマシンで汗を流してから上半身を鍛えようと思ったのだがどうもうまく走れない。
どうしたものかと足をマッサージしてみる。
どうやらふくらはぎと足首の間あたりの筋肉が炎症を起こしているみたいだ。
で、走るのは諦めて、マシンやダンベル、バーベルで上半身を鍛える。
腹筋と背筋を鍛える。
心地よく発汗している。

ここで切り上げて、ロッカーにもどり風呂場へ。
シャワールームの横に日焼けマシーンがあって、誰も使用していなかったので利用する。
500円で15分。
2週間前に初めて利用していたのでやや日焼けしている状態。
で、今回の利用でどこまで焼けるのだろうと思ったりする。
僕の場合、太陽光で焼くとすぐに皮が剥けて色もさめてしまう。
日焼けマシンは紫外線が弱いのか皮剥けも無く、色もさめにくいようだ。
日焼けマシンは身体の周り360度に自分の身長ほどの長さの紫外線を発する蛍光管が巡っている装置だ。
15分入っているだけで、玉のような汗が吹き出てくる。

その後、サウナに入る。
8分入って冷水に浸るというのを3回。
普段はこれだけで身体から水分が抜けてからから状態になるのだ。
しかし、昨日はこれだけ汗を流したのに、まだ手にむくみが残っていた。
サウナに入っている時も、汗をかきながらもむくんでいるのが分かる状態だった。
これだけ発汗しているのにねえ。
いつもと同じ感じで発汗していたんだけどな。


家に帰り軽く夕食をとる。
350ミリリットルの缶酎ハイを2本飲み日本酒をお猪口で2杯飲んだら、それだけで急に酔いが回ってきた。
普段はもっと飲んでもほろ酔い程度なのに、なんだか変な酔い方だった。
やっぱり体調が変なのか?
肝機能が低下しているのか?

なんだか不可解なまま、他にすることは諦めてすぐに寝たのであった。

2007-06-15

梅雨入りの朝は雨上がり。

ちょっと霧雨が残っていたが、早朝ジョギングをした。

今月初めから、朝ジョギングを始めている。
今までも時々走ってはいたがいつも仕事が終わってから、夜に走っていた。
朝走るのは身体に良くないと聞いていたからだ。
フィットネスクラブに行く日は当然時間が足りないので外では走らない。
ランニングマシンで30分、籠の中のネズミのように走るまねごとをする。
外で走るのも本当に時々気が向いた時にという感じだった。

しかしながら、今更ながらだがランニングは自分の力で走るに限ると思う。
マシンのゴムベルトの上で走っても、汗は掻くし息は上がってくる。
でも、ゴムのローラーが動いて走らされるのと、自分の意志で地面を蹴って走るのとでは筋肉の使い方がどうも違うようだ。
特に今の僕にとっては、腹筋。
普段ジムでは上腕部や下半身は鍛えているのだが、腹筋だけはちょっとおざなり傾向にある。
何年か前に腹筋運動をすると吊るようになり、以来恐々と軽くしかできなくなってしまったのだ。
で、ちょっと緩み気味のお腹が気になってはいた。
しかしジョギングを始めて2週間、やっと息が続き始めてきたところだが、うれしいことに腹筋の存在がうっすら見えてきたのだ。

朝走るというのは身体に良くないと聞いていた。
心臓に負担がかかるとか。
でもそれは寝起きにいきなり走ればということなのではないかと思う。
ネットで調べてみてもはっきりした根拠が無いみたいだ。
朝走るのは身体に良くないと言う、とか、身体に良くないらしい、としか書かれていない。
休めていた身体をいきなり動かして関節を痛めるからとか言うことなのだろう。

年齢的なこともあるのかもしれないが、僕の場合はいきなり走るということに最近抵抗が生じるようになってきた。
ストレッチなどをして身体をほぐしてからでないと、走り出しが実にぎこちない感じなのだ。
高見盛ではないが、ロボコップみたいなぎこちない足運びになってしまうのだ。
だから、特に今年になってからなのだが20分から30分、ストレッチに時間をかけるようになった。
身体を充分ほぐせば、スムーズに走り出しができる。
関節周りが衰えてきたのかなあ、歳のせいなのかなあ、と思う。
ちょっと前まではストレッチなどはいい加減にしていたのにね。
そんなことがあるから、工藤公康や吉井理人の身体と取り組みの苦労がより理解できるようになった。

今日は四時半から約四十分走った。
無理せずゆっくり、息があがったら休むことを繰り返しながら。
今走っているコースをノンストップでこなせるようになったら距離を伸ばしていくつもりだ。

それにしても朝走るのは、空気もおいしいし気持ちがいい。
味を占めたら辞められねえなあ!

2007-06-13

昨日、スーパーで。

昨日の夜、閉店間際の近所のスーパーに食料を買いにいった。
僕の前を買い物かごを手に横切ったTシャツを着た若いお兄さんがいた。
かごの中には500ミリリットルや1リットルののペットボトルが10本近く入っていた。
コーラやオレンジジュースなど、甘味炭酸飲料ばかり。

普段なら気にしなかった。
だが、多分10本近くのペットボトルがインパクトを与えたのだろう。
ふと、「これ全部砂糖が相当入っているんだろうな」と思ってしまった。
このコーラを造るときどれくらいの砂糖を入れるんだろう。
このサイダーにはだれだけ...。

いつだったかパティシエがケーキを作る時に思った以上に砂糖を使っていたのを思い出す。
「甘いジュースも結構砂糖は言っているんだよな、
コーヒーや紅茶に砂糖を入れる以上に。」
たまに食べるケーキなどならいいのだ。
でも彼は、喉が渇いてのどを潤すために水や麦茶を飲む感覚でこれらのジュースをその都度飲んでいる感じなのだ。
別にそんなこと誰でもしている普通の光景だよ。
そうも思う。
でも、その都度どれだけ糖分を口にしているのか想像すると、他人事ながらちょっとぞっとした。

40代になって何となく太りやすくなってきたからこんなことを思ってしまうのかな?
もっとも、僕の場合は缶ジュースはほとんど飲まないしコーヒはいつもブラックだ。
この件に関してはあまり心配しなくてもいいと思う。
でも、会社にいた頃は喉が渇くと自動販売機やコンビニを目指していたな、安易に、当たり前のように。

今の僕は、毎晩おいしく飲んでいるビールの方が怖いのだけれどね。
甘くないのに腹が出てくるんだ。
ビールっ腹にならないように気をつけないと。

ウチの冷蔵庫の缶ビールも、彼の手にしたペットボトルのコーラと変わらぬお腹の敵なのか⁉

2007-06-07

自分で弁当を作ること

最近外食をほとんどしなくなった。
昼も、夜も。
昼でも、弁当だ。
コンビニやホカ弁ではない。
自分で作った弁当だ。

自分で作った弁当を食べる、ということに反応する人が多い。
エライね。
タイヘンだね。
スゴイね。
僕には奥さんも、恋人もいないから自分で作るしかない。
実際やってみると自分で弁当を作るなんて、意外と簡単なことだ。

まず、自分に作るからいろいろ気を使うことが無い。
例えば奥さんがダンナや子供に作る時、色合いや栄養バランスを気にするだろう。
何が好みかな、とか。
残さずに食べられるように心を配る。

自分に作る時、
気を使わなくていい。
好みなども考えなくていい。
色合いなども考えるに越したことは無いが、気にすることも無い。
乱暴な言い方かもしれないが、食べたいモノを詰めていけばいい。
僕は料理はうまくないし、テクニックも無いからね。

前日の晩のご飯とおかずを一口分残しておいて、朝弁当箱に詰めればいいだけである。
この方式だと、ほんの5、6分でできてしまう。
ほうれん草やブロッコリーなどの茹でたのとかも前の晩に作って冷蔵庫に入れておく。
冷ます手間も省ける。
朝忙しい時に大変でしょう、とか言われる。
作ったことの無い人ほどこう言う。
斯く言う僕も自分で作る前はそう思っていた。
弁当は簡単に詰められると分かれば大変でもなんでもない。

何よりも自分のウチで炊いたお米がおいしくてよい。
家で炊いたご飯は当然ながら馴染みある味だし、結構ホッとする。
仕事での緊張感がとれる。
作ってもらった弁当でなく、作った弁当だから余計に感じるのかもしれない、と思ったりしている。

こうして改めて考えると、やっぱり僕が最近自分で作ってお弁当を持っていく大きな理由はこの「ご飯のうまさにホッとする魅力」にハマってしまったからなんだろう。
お米を炊くのが得意だとかうまいだとか言うことではない。
ウチのご飯の味が楽しめるからだ。
馴染みの味にホッとするからだ。

2007-05-17

ふぬけの日々

実はブログの筆がなかなか進まない。
昨年末に別枠で試しでブログを始めた時はまあ割とスラスラ書けたんだけれどな。
精神的なことと自分の立場論的なこと行動論的なこと存在論的なことが入り混ざって金縛りにあったかようにノートやパソコンの前で思考回路も身体もフリーズしてしまっている状況。
二進も三進も行かない状態。
人と会わないのもかなり精神状態に影響を及ぼしている。

先日も家に籠って何もしないでベッドで布団にくるまって三日過ごしてしまった。
つくづく病的だなあと思う。
こういうときは当然ながらなかなか本も読めない。
読もうという気持ちになれない。
布団にくるまっていると寝てしまうので何も考えていない。
普通三日も寝てなんか、いられないぜ。

本当ならバイトをして生活費を稼いでいないといけないはずなのに。
何もしないでここのところ毎日ほとんど家に籠っている。

こんな状態がいいわけ無いのは分かっている。
立ち止まって一日何もしないでいる。
やはりある意味病的だなあと思う。
僕の精神は病んでいる。

DVDプレーヤーに録画されているNHKのプレミア10という特集番組で、料理家の辰巳芳子を取り上げたものが残っていて、時々これを流しながら何かをすることがある。
静かに料理を作っている姿。
静かな鎌倉の風景。
鎌倉の自然。
四季折々の音。
静かなナレーション。
静かに落ち着いた知的な雰囲気。
これらがなんだか僕の心を落ち着かせてくれる、のである。
今の僕にとって一番の環境ビデオなんである。
三浦半島の雰囲気は小さい頃からの馴染みもあるし、だから心が落ち着くんだろう。

2007-05-12

コミックを読みたくなる時もある

ホントの無気力状態だ。
困った事だ。
外に出る事だ、とにかく。

僕に必要な事は、とにもかくにも、行動する事だ。

夜、近所のベローチェでコーヒーを飲みながら本を読んだ。
何となく本棚から抜き取った一冊。
椎名誠の「時にはうどんのように」。
オウムのサリン事件の頃週刊文春に連載されたエッセイ集だ。
読んでいるとサリン事件の事が出てくる。
サリンのとき僕は新橋のキムラヤにいた。
その日の朝出勤して本の1時間位後に起こった事件だったように覚えている。
椎名さんは銀座にいたと書いてある。
僕らは意外と近くにいたのだなあと、今更ながら妙な事に驚く。
もう15年ぐらい前の出来事だ。
不思議なくらい昔の出来事だ。

あまり読書にも気が乗らないので数編読んで店を出る。
近くのスーパーで野菜などを買ってかえろうと思ったが、後1時間もすると刺身が半額になりそうな時間だった。
1時間待とうかどうしようか迷う。
半額で買った刺身が夕飯の食卓にあるほうが魅力的だなあ。
これ以上本を読むのも耐えられないので近所の漫画喫茶に立ち寄る。
コミックならなんとか読めそうな気分だった。
「ピアノの森」の5巻6巻を読む。

僕はこの「ピアノの森」というコミックになんでこんなに惹かれるのだろうと思った。
今日はそんな事を考えながら読んだ。

12月にこの本を現在出ている13巻まで一度読んでいる。
そしてこの頃また読み返している。
ジムの帰りに1時間ほど、気まぐれにネットカフェに寄って読み返している。

なんでこんなにこのコミックに惹かれるんだろう。

ちょっと分かった気がした。
僕の今までの生き方、のわだかまりなどに関する琴線に触れる部分があるのだと言うこと。
本当はもっと具体的に認識したのだが、今は記したくない。
でも、涙が出そうになるぐらい深いところで自分の成し得ていない事に対する感情や気持ちに気づかせてくれている事を認識した。


2007-04-10

発作的に、自分で弁当を作ろうと思った日。

僕はどうもこの頃コンビニの弁当をおいしいと思わなくなっている。
オリジン弁当やホッカホッカ弁当ならまだいいのだが、その手のものも最近はあまり食べない。
ファミレスなどもどうもおいしくなくてあまりいかない。
だから会社に勤めていたときは、たとえ出先であろうとなるべく定食屋やレストランを探して食べていた。

去年の9月いっぱいで勤めていた会社を辞して半年が経った。
僕は幸か不幸か独身なので、次の仕事を探して入るが、それほど急いでも居ない。
桜のつぼみが膨らみ始めた先月の初めから先週の金曜までの約一月の間、臨時の仕事をした。
主に製本会社での本の梱包の仕事をした。
日払いの仕事だ。
そろそろ懐具合が寂しくなってきたのと月末の諸々の支払いのため。
何となく体を動かして仕事をしたくてうずうずし始めていたのもある。
毎日のようにジムには通って体を動かしてはいたが、それだけでは物足りなくなってきていた。

その製本工場の周りは同じような工場と住宅地ばかりで、昼飯を提供するようなラーメン屋や定食屋、レストランがほとんどないのであった。
コンビニも近所には無かった。
そのかわりスーパーがあって弁当を売っていた。
製本会社の6階に休憩室があり、頼めば仕出し弁当が食べられる。
家から手作り弁当を持ってこない人たちは大体がスーパーに出向いて弁当を買うか、仕出し弁当を申し込む。

僕は最初の3日間はコンビニなどでおにぎりを3つ4つ買って昼飯にしていた。
ジムに行く夜以外は読書などするばかり。あまり体を動かさない日々が続いていたので、あまり昼間食べない習慣がついていたので量は気にならなかったがやはり飽きてきたしあまりおいしくない。

朝9時から大体18時か19時頃まで仕事だった。
仕事が終わるとジムに寄ってマシントレーニングをし、風呂とサウナに入って家に帰る。
ジムから家に帰る途中でスーパーに寄って夕飯の食材を買う。

三日目の夜。
ふと思いついて台所用品の売り場へ行き、弁当箱になるタッパーと箸入れを買った。
自分お弁当を持って行こうと何となく思ってはいた。
弁当箱となるタッパーを手にしながら、80%を占めるのはご飯で、これにかけるシソのふりかけを買って行こうと考えた。
あとの20%のおかずが問題だ。
何しろ弁当など作ったことが無い。
頼りになるのは学生時代に毎日母が作ってくれた弁当の記憶だ。
食品売場でちょっと考える。
手間をかけずに簡単につめられるもの。
チルドのシュウマイ。
ブロッコリー。
ブリの切り身を照り焼きにしよう。
後はゆで卵。
ブロッコリーとブリとゆで卵は夕飯で食べて少し残して弁当にまわせば、朝時間もかからないんじゃないかなあ。
そんな作戦を練って、実行した。

朝弁当を作る時間なんてとれるか心配だったが、残り物をつめるだけだったのでモノの5分で出来上がってしまった。
あまりにあっけなく弁当ができてしまったので拍子抜けであった。

ちょっと準備しとけばこんなに手軽にできるんだ。
やってみなければ分からないものだと思った。

昼、食べてみる。
家で食べる米の味がする!と思った。
それがすごくうれしくもあり、そしてホッとした。
母の作った弁当を食べていたときはそこまで感じなかったのだが、自分で作っただけに味に敏感だったのかなあ。

以来毎日弁当を作って持って行った。
家に着く前の食材の買い物も、弁当のおかずを考えながら買うのはなんだか楽しくもあった。

自分で弁当を作るのって、存外楽しいし、面倒くさくないもんなんだなあと言うのが実感。
でも、つかれて帰ってから弁当箱を洗うのはちょっと面倒かな。