2013-09-26

十両4力士たちの11日目の攻防

今場所は、十両の力士たちが気になる。

昨日の対戦前。
9勝1敗で鏡桜(かがみおう)、2敗で今場所話題の大砂嵐と照ノ富士が、3敗で東龍(あずまりゅう)という状況。

鏡桜と東龍が対戦。寄り切りで鏡桜の勝ち。
寄り切りとは言え東龍が結構善戦して鏡桜は運良く最後に勝ちを拾った様な様相であった。とはいえ、伊達に9勝してはいないと言うしぶとい勝ちっぷりだった。

鏡桜が1敗をキープし10勝の大台に。東龍は7勝4敗。

次の取り組みが大砂嵐と照ノ富士。
大砂嵐が優位に立ち、やはり勢いに乗りこのまま上手投げか、もしくは寄り切るかというときにまさかの巻き落としで照ノ富士の勝ちとなる。大砂嵐が寄り切ろうかと照ノ富士をぐいっと引き寄せた姿勢に入ったところで突然大砂嵐が反り身になったかと思ったらそのまま背中から倒れ込んだ、照ノ富士は大砂嵐に回しを取られて腰から引き寄せられた時に逆に相手をぐいっとを捻り優位な形にいた大砂嵐をあっという間に反り身にしてそのまま大砂嵐に覆い被さるように倒し込んでしまった。
大砂嵐が8勝3敗、照ノ富士が9勝2敗。

十両戦なのにすごい迫力の見応えのある取り組みだった。



四股名だけで見ると分からないが...

鏡桜は鏡桜南二(かがみおうなんじ)という名で実はモンゴル出身。本名はバットフー ナンジッタという。

大砂嵐はエジプト人であることは周知である。大砂嵐金太郎という意外とかわいい名(かわいい、と言うと失礼ですね。金太郎というのはたくましい名ですから)。本名はアブデラハム アラー エルディン モハメッド アハメッド シャーランという。

東龍は、彼もモンゴル人。東龍強(あざうまりゅうつよし)という名で、本名はサンドゥイジャブ トドビレグ、という。

照ノ富士は照ノ富士由章(てるのふじよしあき)という名で、彼は日本人かと思いきや、はたまたモンゴル人なのでした。本名はガントルガ ガンエルデネという。



国際化が進んでいる、喜ばしいことだ。しかし一方で、十両の優勝争いに日本人が絡んでいないなんてちょっと悲しい、寂しい気分である。
豪栄道、妙義龍、栃煌山、松鳳山、隠岐の海、高安、升の山、そして遠藤、と有望な日本人力士が幕内でかなりいいところまで来ている。

だが、その下では将来手強そうなこの外国人4力士たちが控えている。
この4人はすぐ上に上がってきそうな予感がする。
日本人力士がはじかれて落ちて来ないことを祈るばかり。



2013-09-21

古本を買った話。

古本をほとんど買わない。

これが2回目だ。

最初の本は昔買い損ねたウィルバースミスのリバーゴッド上下2巻。池袋のブックオフで。とても状態も良かったのもあったが、本当に偶然立ち寄って、最近絶版が続いて本屋から消えてしまったウィルバースミスなんかあるかなあという軽い気持ちでなんとなく本棚に目を走られていたら、見つけてしまって、衝動買い。

今回はアマゾンで何の期待も無しにウィルバースミスと検索をかけてみたら、かなり前には見なかった灼熱戦線というタイトルが出て来て、衝動買い。
2日目にして届いて、いま、手元にある。
貴重なウィルバースミスの僕にとっての新しいタイトルの本。
初版本、良品とのこと。
届いたら、これは上下巻だが、たしかに状態は良く美品で、丁寧にパラフィン紙でカバーがかけられていた。
初版本だし、美品だし、こんなに丁寧に扱われてきた本を無造作に通勤鞄などに放り込めないなあ。


そう言うところはとてもいい、うれしい、そんな気持ちもある。
が、
こういうところが、なんとなく、扱いにくい感じがするんである。


2013-09-20

秋場所四日目の大砂嵐。

最近テレビをほとんど見なくなってしまったので、相撲も気付いたら始まっているという体たらく。

休みの昨日、4日目はたまたま夕方テレビのスイッチを入れたら大相撲中継の始まるところだったので出かけるまでの少しの間見てしまった。

今場所話題のエジプト出身の大砂嵐と鹿児島出身の里山の一番。
里山が中に入って優勢だったのを逆転しかけたところを里山が何とか足を取って同体の判定で取り直し。またまた中に入って来た里山を最後は土俵際にずずっっと追いやっての寄り倒し。
どちらの相撲も一筋縄でいかない粘り、諦めない相撲を取って勝った一番でした。



さてさて、それにしても番付を見て驚くのは旭天鵬と時天空。
このブログを始めた2006年からほとんど前頭1〜10枚目から上がりもしないけど落ちもしない。
これは本当にもの凄いこと、だ。
旭天鵬なんか、初日から4連勝だ!

2013-06-03

スキマ時間、という単位。

色々なことに急を要していてなんだか一人焦っているこの頃。

中山庸子というイラストレーターの時間術活用法について書いた本

そのなかで、5分を一つの単位として1スキマ時間と称し、この5分という単位のちょっとした空いた時間のなかでなにか一つの事がが出来るんじゃないか、ということを提唱している。

なかなかできないから時間を無駄にし且ちなわけだが、こんな単位を意識するだけでそこに価値を見いだせてたかが5分と思えなくすることができるという意味で、今の僕にとって結構意味ある提唱に思える。


焦らず実践してみようと改めて思うのだ。

2013-04-04

雑文集と1Q84

村上春樹の「雑文集」という単行本を先日購入。
「作家としてデビューしてから30年余り、あれこれの目的、あちこちの場所のために書いてきて、これまで単行本として発表されなかった文章がここに集められています」

こんな序文から始まる、村上春樹 雑文集、だ。

村上春樹の文章は、というか、小説、は、時々思い出したかの様に手にして読む。透き通るような、森を歩いていて清流にを見つけてそれに手をつけてみたときのような、そんな文章の印象を何時も受ける。
知的な透明感のある文章。

発表されている小説やエッセイは大方読んでいるつもりだが、「1Q84」だけはまだ読んでいない。
僕は天の邪鬼のような性格を持っていて人が持て囃しているようなものに対し、一歩引いてしまうようなところがある。
例えばパソコンだってWindowsが全盛だというのに当時かなりマイナーだったMacintoshを使って悦に入っていた。
そのMacを作っているAppleが出していて親和性があるから便利なのにも関わらず、スマートフォンは爆発的に人気のiPhoneを使っていない。(DOCOMOが出したら使っていたかもしれないのですが

「1Q84」は、そんなわけでほとぼりが覚めるまでしばらくお預け、というわけなのである。人気の長編小説を読まずにとってあるという得も知れぬワクワク感を抱きつつ、ね。